モンスターの絶叫が胸を貫いた。
 心臓を鷲掴みにされた、と思った。恐怖が引き擦り出される。戦うことの恐怖だった。刃を突き立てること、肉を引き裂くこと、命を奪うこと、命を奪われること。今まで考えたこともなかったさまざまな恐怖が浸食する。指先の感覚が徐々に消えて、取り落としそうになる剣を懸命に握った。これを失ってはいけない。恐怖への対抗手段がなくなる。戦わなくては、生き延びるために、身体も心も、守るために。
 両手で武器を握り直した瞬間、突如、胸の内側に火が灯った。
 炎に照らされたようにぱっと視界が開けて、その時初めて、目の前が真っ暗になっていたことに気がついた。
「わかるか、リッチ」
 名前を呼ばれて、ぎこちない動きで声の方を向く。よく知った顔があった。
「……パトリック」
 自分で声を発して、自分の声を聞いて、ようやく凍りついていた思考も溶けた。同時にどっと汗が噴き出す。冷や汗だった。パトリックがかすかに笑ってリッチの肩を叩く。力強い衝撃を受け止めて深呼吸をする。それから周りを見回すと、少し離れたところにレイモンが立っているだけで、もうモンスターの姿はなかった。

 夕焼けが西に消え紺青の空が迫る頃に、リッチ、パトリック、レイモンの三人は夜を過ごす準備を始めた。この日は運よく先人のキャンプ跡を見つけることができた。未開とまではいかなくとも、人の踏み入れることが少ない中原の森だった。おかげで獣避けの処理が簡単に済んだリッチは、手持ち無沙汰になって、パトリックに付き添って野草を摘む。それもすぐに終わり、二人で揃ってキャンプ地に戻る。
 その道中で「そういえば」とリッチは訊ねた。
「昼間のあれ、どういう原理だったんだ。思い出すだけでも気持ち悪い……」
「さあ、そこまでは考えたことがないが、面倒な術であることには違いない」
 人間の感情を増幅させて、最終的には意識を奪うのだとパトリックが説明する。
「意識を失うじゃなく奪うというのが厄介で、あのまま放置しておくと見境なく剣を振り始めるんだ。おそらく、自衛本能だけで。だから火術で本来のアニマを刺激してやると、落ち着く」
「あの時体が熱くなったのはそれか」
「そそ、パトリックが得意とする数少ない術でな!」
 場違いな軽口を挟んだのはレイモンだった。先に探索から戻っていて、既に腰を下ろしている。
「周辺に異常なーし。今日はここで大丈夫だな」
 あらかじめ集めておいた薪を積んで火をつける。パトリックの白けた横目を意にも介さず、レイモンは荒々しくリッチの肩を抱いた。
「まあまあリッチ、そう落ち込むな。こういう経験は誰もがするし新人は知らなくて当然。勉強だ勉強! 二回目はないけどな!」
「落ち込んでねっ……よ!」
 ついでと言わんばかりに軽く首を絞められ、リッチは腕を振り払う。ふざけた言い方でも内容は真っ当なアドバイスで、励ましで、叱責だ。
「そういうお前は二回目も三回目もあったがな」
「ん~?」
 にっこりと笑顔を見せてレイモンははぐらかす。負けじとパトリックは口端をつり上げた。作り笑いの二人に挟まれたリッチは呆れ顔になる。
「おかげで私はさっきの術がずいぶんと得意になってなあ」
「あーあーヤラシー言い方しやがって!」
「そう聞こえるのは後ろめたさがあるからじゃないか?」
「そう聞こえないようにもっとありがたそうにしろって言ってんだ!」
「リッチ、こういうトラブルメーカーがいると術も剣も上達するぞ。命の保証はできかねるが」
「ああ、なんとなくわかる」
 不意に話を振られて思わず素直に頷くと、とうとうレイモンが立ち上がった。置いていた弓と矢束を担いでずんずんと足を進め、森の奥に消えていく。呆然と見送ってから、リッチはまずいんじゃとパトリックに目配せをした。
「飯の足しになるものを探しに行っただけだ」
 とは言っても、頭に血が上った状態で一人で行かせるのは危ないだろう。リッチの危惧も見越して、「あいつはああなった時の方が集中できるからな」とパトリックは言い放った。
「ああなった時って」
「負けず嫌いなんだ」
「それはわかるけど」
「レイモンはあれで堅実だ。無茶はしない。若い頃は真逆だったが」
「本当かな」
 なおも食い下がるリッチにパトリックは苦笑する。少し考えて、内緒話をするように顔を近づけた。いつの間にか日は落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。目の前の炎が、ぱちんと音を立てた。
「正確に言うと、したくてもできないんだ。私達はもう若くない。家がある。昔よりずっと背負うものが大きくなって、最後の最後には確かな選択しか取れなくなった。つまりな、怖じ気づくんだ」
 そういうものか、とリッチは曖昧に頷く。普段から落ち着いているパトリックが言うには説得力があるが、レイモンもそうだとはいまいち思えない。
「依頼を手堅くこなすだけなら構わないのだがな、私もレイモンも本当は、冒険が好きなんだ」
 森の奥で獣道を辿ること、遺跡で人の営みの痕跡を探ること、吐息が凍る大陸の果てに行くこと。なにがあっても、なにかなくても、歩き続けていけることに歓びがある。母に子守唄代わりにせがんだ冒険譚を思い出して、リッチは黙って頷いた。肝が冷える体験をしても好きだという思いに変わりはない。やめたいなんて、考えたことすらない。
 つまり、パトリックが言いたいのはこうだろう。若い頃は命を懸けた探索に出られたし、今もできることならそうしたい。しかし、もう一人で生きているのではないから、無謀な行動はできない。と。
「できることならもっと遠い場所に行きたいし、知らないものが見たい。でもそれができないから……お前と一緒にいるんだ」
「はあっ?」
 突然の話題転換に、素っ頓狂な声が上がる。
「えっと、俺? 話繋がってるのか?」
「もちろん」
 パトリックは穏やかに笑う。
「お前は大胆で度胸があって、よくものを見ている。だから共に行動するだけで新しいなにかを得られる……と、私は思う」
 面と向かって褒めらるのはさすがにむず痒い。そこらのディガーよりうまくやっているだろうと自負はあっても、他人に讃えられるのは別だ。たまらず顔を背ける。それでも、だらしなく緩んだ表情は焚き火のせいで隠せない。
「それはちょっと、言い過ぎだって」
「こういう時は素直に喜んでおくものだ。それに、レイモンの無茶が落ち着いたのだって、お前のおかげもあるかもしれん。先輩として新米ディガーに舐められまいと」
 それはどうだろうか。親しみやすいと言えば聞こえがいいがあまりに気安い態度で、腕は確かだが頼もしさがあるとは言い難い。舐めはしなくとも、尊敬すべき先輩だと断言するには無理がある。
 微妙に渋くなったリッチの顔を見て、「じゃあ、そうだ」とパトリックは手を叩いた。
「町に戻ったら、酒の肴にあいつの若い頃のひどい話をしよう。そうしたら多少は見直すだろう」
「いや、それは成長を実感するだけで、見直しはしないんじゃ」
「なんだ、聞きたくないのかレイモンのひどい話」
「聞きたいに決まってるだろ」
 即答と同時に二人は睨み合うように目を合わせ、一呼吸置いて揃って吹き出した。

パトリックとリッチってシナリオとしては二つしか一緒にいないんだけど、良い先輩後輩関係だったんじゃないかな~と思ってる。
書いてる最中に内容変更したので、やっぱりタイトルに悩んだ。この「めい」は色としての単語です。
180609

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